高橋 典子
さん
●プロフィール
奈良県出身
温泉津町 やきものの里 勤務
温泉津のお年寄りが「古い」ことを話されているつもりでも、私にとっては「新しい」ことでとても面 白く、
楽しい。
●乗客の前で初めて泣いた。
女子高生に励まされた、声の出ないバスガイド
「お客様の前で泣いたのはあれが最初で最後でした。どこかの女子高の修学旅行でしたがみんないい子で、声の出ない私をいたわってくれて、思わず涙してしまいました。今ではあの出来事も、人生の中ではいい経験だったと言えるようになりましたけど」。
温泉津町の高橋典子さんはそう言うと少し微笑んだ。奈良交通のバスガイドだった高橋さんが入社1年半で自ら退社することを決断したのはそんな体験からだった。いい経験というには少し辛い、早すぎた挫折を彼女は振り返った。
奈良県出身で大阪で育った高橋さん、人前で話したり、歌ったり接客することが好きだった彼女は高校卒業後、夢だったバスガイドの職に就くことになった。会社の寮に住み込み、二ヶ月間はガイドの特訓の日々を過ごした。バスガイドはバス会社にとって看板ともいえる部門である。訓練はかなり厳しいもので各観光地のガイド内容の暗記、接客訓練、安全指導、実地指導などを経て、ガイドとしてやっと形になった頃、少しづつ喉に違和感を感じるようになったという。
「朝起きると声が出にくい状態が続いたのです。うがいや薬を飲めば一時的に症状が治ったので、なんとかやっていました。その頃は毎日忙しく、バスガイドとして一人立ちした責任感と失敗できないというプレッシャーからのストレスが続いていました。ちょうど修学旅行シーズンだったので、毎日しゃべり続けでした。今日は神戸、明日は京都とスケジュールも混んでいてとても休めるような状況ではなかったですね」。その女子高の修学旅行の時、観光バスの中で高橋さんの声は完全に出なくなったという。
「無理しないでいいよという彼女たちの思いやりが胸にしみて、泣いてしまいました。プロとしてはこの仕事は続けられないとその時気づいたのです」。診断によると過度の疲労による喉の故障で、喉を休めることしか回復の方法はないということだった。つまり高橋さんがあこがれた職業を諦めるしかないという宣告だった。
●環境を変えたい。 奥出雲で陶芸を学ぶ。
結構出来るやん、わたし
「バスガイドを辞めたということは、私にとって凄いショックでした。しばらくは先が見えなくて目標を失ってしまいましたから、大阪でフリーターをしたり、コンビニのバイトをしたり」。そんなときUIターン情報誌で島根県横田町の奥出雲陶芸研究所の研修生募集の記事を目にした。新しい目標を模索していた高橋さんの胸を打つものがあったという。
「元バスガイドでしたが島根県というと出雲大社しか知らず、全然横田町の位 置とか分かりませんでした。けれど大阪と違って、自然があってゆっくり出来るだろうなと思いましたし、そこで陶芸を通 してまた違う自分が発見できるかもしれないって」。 陶芸研究所では陶芸の基礎から教わった。著名な陶芸家も招かれ、焼きものの歴史、精神、創作にあたっての心構えといったことについても学んだ。
「全国各地の食の器に興味を持っていましたが、どちらかといえば私は不器用な方でとても陶芸など出来ないだろうと思っていました。環境を変えたいという気持ちで横田で陶芸の基礎を始めたのですが、やってみれば面 白くて、なんだ、結構できるやん、私って」。自分の探していたものに高橋さんは横田町で再び巡り会えたのかもしれない。
釜の前で愛犬「伝」としばし休憩。リフレッシュタイムが次の作品の案を練る時間でもある。